今から約1300年前の、和銅元年(西暦708年)から存在したと言われている闇金業者。
もちろん、今と違って「闇金」とは呼ばれておらず、時代の流れとともに様々な呼ばれ方をしてきました。
そんな中、室町時代に「土倉」や「酒屋」と呼ばれる歴史上においても有名な高利貸し業が存在したんです。
ですが、同じ高利貸し業なのに呼び方が違うのはなぜ?と思う方は、きっと多くいますよね。
そこで今回は、室町時代に呼ばれていた土倉と酒屋の違いについてまとめてみました。
今から約650年以上も前の室町時代、高利貸しを行なっている「土倉」と呼ばれる業者と「酒屋」と呼ばれる貸金業者が存在しました。
この名前を聞いただけでは、現在で言う闇金を想像することは難しいですよね。
では、高利貸し業を営んでいるという事はわかりますが、なぜ土倉と呼ばれる様になったのでしょうか?
これは、当時お金を貸し付ける際に庶民からは担保をとった上で貸し付けをしており、その担保を保管する倉庫が土壁の蔵であったことから「土倉」と呼ばれるようになったと言われています。
また、お金を貸し付ける際も今で言う「質屋」のような感覚で、担保として入れられた物に見合う金額のお金が高利で貸し付けられていました。
それと同時期に、「酒屋」と呼ばれる高利貸し業が存在していたんですが、酒屋については次の項目で説明していきます。
では、土倉と同時期に存在していた「酒屋」とはどのような貸金業者だったのでしょうか?
酒屋は、その名の通り酒屋業を営む業者だったのですが、当時酒屋は非常に儲かっていたため、その資金を元手に副業として高利貸しの貸金業を営んでいたため酒屋という名前にも関わらず貸金業者としてその名を広めたとされています。
また、酒屋はその潤沢な資金を活かし貸金業以外にも、荷造りなどの流通業をはじめ通信業などにも幅を広げ、さらに事業を拡大していきました。
その結果、手代と呼ばれる地方役人を任せられたり、用心棒などを雇うほどの地位を手に入れたとされています。
ここまで土倉と酒屋について説明してきましたが、同じ時代に同じ高利貸しとして運営していたにも関わらず「土倉」と「酒屋」で分けられていたのは、土倉が担保として受け取っていた物を保管する倉庫が土壁の倉庫であったこと、酒屋はその名の通り本業は酒屋としての営業であり副業で貸金業を営んでいたから、というところにあるんですね。
カテゴリー | 用語集 |
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作成日時 | 2017-08-08 23:08:11 |
更新日時 | 2017-08-15 19:13:20 |